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しかし、そのすぐ傍らで、平成、令和の時代を通じて釧路川の水流を黙々とコントロールし続けている現代の守護神――「新岩保木水門」の存在を忘れてはならない。
今回は、いつも影に隠れがちなこの“二代目”が紡ぐタイムラインから、ある壮大な未来の妄想を紐解いてみたい。
■ 1985年と1990年、時代のバトン
新岩保木水門の歴史を紐解くと、工事が始まったのは1985年(昭和60年)。そこから5年の歳月をかけて、完成を迎えたのが1990年(平成2年)のことである。
今年2026年は、この新水門が竣工してからちょうど36周年という記念すべき節目にあたる。
ここで、少し面白い計算をしてみよう。 二代目の工事が始まった1985年というタイミング。これは、初代(旧水門)が完成した1931年(昭和6年)から、ちょうど54年が経過した時点にあたる。
一般的に、コンクリート構造物の法定耐用年数や大規模改修の目安は「50年」と言われることが多い。初代がその限界を迎える絶妙なタイミングで、二代目のプロジェクトは動き出していたのだ。
そう考えると、今年で36周年を迎えた現役バリバリの二代目も、すでに折り返し地点を過ぎ、人生の後半戦に差し掛かっていることになる。
■ 宿命の系譜と、2039年のタイムリミット
岩保木水門の歴史において、皮肉にも共通しているポイントがある。 それは、初代も二代目も「莫大なエネルギーをかけて作ったものの、本来の目的(決壊防止や大規模な調調節)としては、実はあまり出番がない」という点だ。
宝の持ち腐れ、と言えば聞こえは悪いが、それだけこの地域の平和が保たれている証拠でもある。しかし、使われていなくとも、コンクリートは確実に等しく歳歳を重ねていく。
では、現在のところ噂すら一切聞こえてこない「三代目・岩保木水門」の計画は、一体いつ動き出すのだろうか?
1985年に二代目の工事が始まったということは、役所の計画や予算付け、環境調査の期間を考慮すれば、遅くともその5年前である1980年(昭和55年)頃には確実に構想が存在していたはずだ。 1980年といえば、初代の竣工から49年目。やはり「50年」という数字が、建替えの強烈なトリガーになっていた裏付けと言える。
このロジックを、そのまま現在の二代目に当てはめてみよう。
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2039年:二代目の竣工から49年目。老朽化に伴う「三代目」の構想・計画が秘密裏にスタート。
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2044年(令和26年):5年間の工期を経て、最新鋭の「三代目岩保木水門」が堂々完成。
■ 未来のどこかで、また会おう
初代、二代目と受け継がれてきた「作られたけれど、あまり使われない」という奇妙な宿命を、きっと三代目も引き継ぐのだろうか。それとも、2040年代の最新テクノロジーによって、水門という概念すら変わっているのかもしれない。
今のところ、行政の資料をひっくり返しても三代目の「さ」の字も見当たらない。 すべては私の頭の中の、他愛のない妄想に過ぎない。
しかし、あと十数年もすれば、必ずこの静かな川沿いで「次の50年」に向けた議論が始まるはずだ。
その時、はたして自分は現役でカメラを回せているだろうか。 それとも、新しくなった三代目の上屋を眺めながら、バスクリン色の川沿いで老後の散歩を楽しんでいるだろうか。
そんな未来に少しだけ思いを馳せながら、今日も現役でそびえ立つ二代目の、冷たいコンクリートにそっと手を当てるのである。